ただ単に、文次郎が大木先生に片恋してたら萌えるなーって。
いや、ただ、うちの文次郎は初恋が大木先生なんですよっていう話。
小雨の中、行きつけの飲み屋にいくといつも座っている席に先客がいた。
「よう、学園に届けは出してきたのか?」
手入れもしていない髪を無造作にまとめ、あごには苦手な髭剃りの傷跡と剃り残し。大きな口を開けて大声で笑う彼の、隠されたやさしさに、文次郎は幾度と無く助けられたことを思い出していた。
「いえ、明朝小松田に見つからないように帰ります」
彼の隣に座ることを断りながらも返事を待たずに腰を下ろす。自分以外に飲む相手が居ないことを知っているからだった。
酒と、それに合う肴を注文し、二人は無言のまま酒をちびちびとすする。
深夜、ほとんどの人間が酔いつぶれて帰ってしまった後の、がらんとした店内の片隅で、男二人が雨音に耳を傾けながら無言で酒を交わすというのは非常に滑稽であった。
「どうだ?」
「なにがです?」
突然尋ねられて驚く。どうだと聞かれたところで話の流れがまったくつかめない。
「学園や仕事や、その他諸々だ」
笑う彼に、文次郎はこっそり「オヤジか、あんたは」と溜息を吐く。
「学園のことならあんただってご存知でしょう?通じている人物も居るようですし」
文次郎の脳裏に若い教師の姿が浮かんだ。
「……半助か?」
突然鳴った雷の所為ではなく、相手の口を突いて出た名前に、体がびくりと反応する。
「別に、通じてるつーほどのもんでもないがなぁ……」
古いが故に軽く雨漏りしそうな天井を仰ぎ、首筋を掻きながら酒をすする。
「たまにな、来るんだ。あいつのほうからわしの家に。わしが畑に出ている間、ラビと遊んで、飯と風呂の用意をして。夜、酒を交わすころに帰っていく」
ウソだ。と文次郎は思った。
土井半助は夜分遅くに帰ってきたことがないと知っていたからだ。
帰ってくるのは、大抵が翌朝以降だということを知っていたからだ。
「どうした?」
ガタンという音を立てて、文次郎は立ち上がり、店の主人に金を払いながら謝った。
「すいません。酔ったみたいです。少し酔いを醒ましてきます」
目を合わせようとしない彼に、返事は無かった。
店を出た後、文次郎は少し名残惜しそうに店をうかがう。
そして今までの気持ちを振り切るかのように、傘も差さずその足を花街に向けた。
足取りは決して酔っ払った者のそれではなく、雨脚は強まる一方だった。
大土井は文次郎の勝手な思い込み。
利土井派です、私。
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