町への到着はいつも夕方だった。
雪洞に灯が点り、仕事疲れの男たちが疲れを癒し愚痴を言う、町中の小料理屋が一日でもっともにぎわう時間。
そのうちの一軒に足を止めた男は、店の隅の座敷に陣取った。
注文した酒と料理に舌鼓を打っていると、格子窓の向こうから店の喧騒に掻き消されそうになりなった歌声が聞こえてきた。
耳を澄ませてみると、どうやらはす向かいにある白い大きな建物かららしい。
美しい、されども切ないその調べは
「……青い鳥……か……」
つぶやいた男は猪口の酒を飲み干し、ちょうどそこへ通りがかった店の娘を捕まえた。
「仕事中にごめんね、お嬢さん。ちょっと聞きたいんだけど、あの斜交いの建物って何かわかる?」
「お兄さん、今日お着きになったばかり?あそこの白い壁はこのあたりでは一番有名なお宿だよ」
「宿……?旅籠かい?確かに水屋もあって、大きいけれども。でもこんな壁際にあって……この造りは……」
「そう、楼郭と同じ。一応違法だよ、花街以外での色売りは禁止されてるから。でもあのお屋敷だけは別なんだ」
訝しげに眉をひそめた男に、娘は声を潜めて言う。
「ここだけの話なんだけど、あのお屋敷の中には傾城の碧宝ってのがあるらしいんだ。その碧宝ってのに、ここの領主が入れ込んでてね、警手から守ってる。まぁここの領主と警手は昔から癒着してるから、碧宝なんてあってもなくてもあまり関係なさそうだけど」
「ずいぶん詳しいんだね」
男は徳利を逆さにし、酒が切れたことに気づいた。
「まぁ長い間ここにいれば、いろんな噂も聞こえてくるし。お酒に酔ったお客さんがポロポロこぼしていくこともあるよ」
「お客のことを言いふらしても大丈夫なのかい?」
クスクスと笑いながら問うと、いいのよと娘も笑顔になる。
「いいのよ、お兄さん男前だし」
「あはは、ありがとう」
男は優しいまなざしを娘に向け、空になった調子を渡した。
「じゃあもう一つだけ教えてくれるかな、この歌声の主ってわかる?」
おかわりね、と受け取った娘は大きくうなずく。
「この町にすんでる人で、この声の主を知らない人はいないわ。あのお屋敷に住む、初音さまよ」
娘はそれだけ残して、店の人ごみに消えた。
「初音さま……か……。確かに綺麗な声だけど……俺のほうが上手いかな」
煮物を摘んで男が呟くと、袋に入れてあった琵琶が、「意義あり」とでもいうようにポロンと鳴る。
男は冗談だよ、と琵琶に笑いかけた。
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