「ねぇ…そういえばこのごろティンちゃん見かけないわねぇ…」
母が頬に手を当ててうなるように言った。
「そうだね…どうしたんだろう?」
テーブルで食事を取りながら彼は首をひねった。
彼女が最後にうちに来たのは一ヵ月半も前のこと。
「いつもなら二週間に一度か二度は来てくれてたのにね・・・」
母の呟きに、ロータリオは何かを決心した表情を見せた。
「母さん、俺、ティンのところにいってくるよ」
「あんた、何考えてるのよ!」
とんでもないことを言い出す息子に、彼女は思わず叫んだ。
「今まで何のためにずっと家にこもっていたと思っているの?」
「でも…ティンのことが気になるんだ」
「それはわかるけれど…」
「殺人鬼が出たのは夜の間だろう?今は真昼間だ。それに、皆夜寝ているときに家から連れ出されて殺されてるんだろ?今俺が生きているって事は、殺人鬼が俺だけを生かしているってことだ。それにいまさら俺を殺すとも思えない。」
殺すなら抵抗する力が弱い子供のときに殺しておくと思うぜ、普通。そういって、彼は口を濯いだコップをおくと、何年かぶりに玄関を飛び出ていった。
目指すは勿論彼女が住んでいると思われる、黒い塔。
街の姿はあまり変わらず、海も草原も、まるで時が止まっているかのようにそのままだった。
「変わってない…。あのころはここで皆と転げまわって走り回って…」
足を止めて懐かしい記憶に思いを馳せる。
12人全員が生きていたころのことを。
その思い出を、深く深呼吸して打ち消し、ロータリオは再び走り出した。
草原と、鬱蒼とした森へ入る。その奥には、はじめてみる気味の悪い塔が建っていた。
はぁはぁと呼吸を整えて、真っ黒い扉を叩く。
返事は無い。
もしかしたら留守なのかと思い、扉に耳を当てて中の様子を伺おうとすると、扉にかけた体重で、ゆっくりと錆びた音を立てながらその扉が少し開いた。どうやら鍵はかかっていないらしい。
「あの…すみません…誰かおられますか?」
中をうかがいながら声をかける。すると中から返事があった。
「ロータリオくん…?来てくれたの…?」
その声はまさしくティンだった。
「ティン!一ヶ月以上も来なかったからどうしたのかと思ったんだよ。久しぶりだね」
そういって、一歩塔の中に足を踏み入れると、そこには変わり果てたティンの姿があった。
「てぃ…ん…?ど…したんだい?その姿は…」
「あぁ…手術をしたの…」
そういって笑う彼女の目は、ぽっかりと空洞になっており、まぶたは下りることなく開ききっている。両足は切断したのか太ももから下が無く、その先は丸い形をしていた。
「手術って…どういう…?」
状況を受け入れられない彼は、引きつった笑顔のまま尋ねた。
「私の母がね…ある場所で眠ってるの…。私の体のパーツをつなげなおした母がね…。私の体は殆ど母にお返ししたのよ…」
そういって口だけで微笑む彼女。
「まだ理解できないかしら…?なら今からすべてをお話しするわ」
そういって、打ちひしがれたままの彼を連れて、彼女は車椅子のまま食堂のテーブルについた。
「私、目が見えないから…相槌打つなり返事するなり…音で示してね」
彼女は再び微笑み
「あのね…私、生まれたときから体の内臓器官がが足りなかったのよ…」
と話を切り出した。ロータリオも、うんと頷きながら話を聞く。
「私たちがここへ来たのはその足りないものを補うためだったの」
ロータリオは首をかしげながらうんと頷いた。
「でね…やっと…あと1つで私の内臓器官が全てそろうってときに…おじいちゃんが…」
彼女は一旦言葉を切り、大きく息をつく。
「おじいちゃんが言ったの…私の母に移植するって…私の全てを・・・」
「ティンの…全て…?」
彼女は声も無く頷いた。
「そのうち…私はここからいなくなるわ…この世から…」
「ぇ…」
驚きに声が出なくなった。
彼女がこの世からいなくなる…。それは今の彼にとって考えられないことだった。
「ロータリオくん…?大丈夫…?」
声をかけるティンだが、大丈夫なわけが無いとわかっていた。
「私なら大丈夫よ…」
暫く黙ってから、彼女はそういった。そして微笑んだ。
「だって、私は母の中で行き続けることができるんだもの…だから大丈夫…ね…?」
そうして彼女はロータリオの頬を手探りで捜し当て、ふれた。
「泣いて…くれているのね…ありがとう」
ロータリオは自分が泣いていることに、初めて気づいた。知らない間に涙が頬を伝っていたのだ。
自分の頬を触れるその手に手を重ね、強く握り締める。
「でもね…コレは決まっていた運命なの…。私がおじいちゃんに拾われたあのときから…この結末は決定していたのよ…」
「拾われた…?」
彼女は頷いた。
「私…20年前に拾われたの…おじいちゃんに」
それは衝撃的な告白だった。彼は信じられない思いで彼女に問い返した。
「じゃあ…なぜ貴女がその人に体を上げなきゃいけないんだ?」
その問いに、彼女は少し間をおいてから応えた。
彼女の話によると、移植というのは、相手の内臓が自分の体と合わないと、拒否反応を起こしてしまうらしい。
しかし、彼女は特別な体を持っており、どんなドナーの内臓とも相性がいいのだ。それだけではない、その彼女に移植した後のものを再び移植することができる。それらも同じように拒否反応が出ることなく、移植できるというのだ。
そんな彼女の体質を見抜き、彼女の祖父は、スラム街から彼女を養子として引き取った。
「おじいちゃんはとても立派な人なの」
彼女は眼球のない目で笑う。
「だからね…いつか必ず…私を元に戻してくれるわ」
彼女の笑みに、ロータリオの胸がまたツキンと痛む。
彼女に掛ける言葉が見つからない。
ロータリオは彼女の手を握ったまま下を向いてただただ溢れてくる涙をこらえるしかなかった。
「ロータリオくん?」
握られた手をそのままに、ティンは小首をかしげる。
「大丈夫…?」
「あぁ…大丈夫…。もう…暗くなるから…そろそろ帰るな…」
ロータリオは嘘をついた。今はまだ三時ごろ。日は高い。
もう一度だけぎゅっと、彼女の手を握る。そしてその手は離れた。
「ロータリオ…くん…」
切なそうに呼ぶ彼女の声を背に、彼は塔からとびだしていった。
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