──チラリ
──ホラリ

「……綺麗だ……」
「あぁ、本当に」
「そうではなくてお前がだ」
舞い散る花びらを救い上げながら微笑んだその姿は美しかった。
心を奪われるとはこういうことを言うのだろうか。
昼日中に見る元気に咲く花よりも、こうして朝霧の中で果敢なげに咲く花が彼には良く似合う。

「……綺麗だ……」
「ふっ……当たり前だろう」
「お前じゃなくて、桜がだ」
絹糸のように美しい髪をなびかせて満足そうに笑みを浮かべる彼に、文次郎は言ってやる。
「貴様……」
恥ずかしそうに頬を朱に染めて怒りをあらわにする彼が綺麗だと思う。
「嘘。本当はお前のことだ。桜のようだと思って」
「はいはい、アリガトウ。そういうことは伊作にいってやれ」
心のこもっていない等閑な物言いに、なんだよ、と文次郎は不服そうに眉間にしわを寄せた。
「本気でいってるんだが……」
「毛虫……。私が桜なら貴様なんぞ毛虫みたいなもんだな」
「なんだそれ……」
「桜の木に集ってはモグモグ攻撃する……」
ちょうど目の前に現れたその幼虫に、文次郎は眉間にしわを寄せるのにも限界が来て、ちっ、と一回舌打ちをする。
彼という名の桜を支えることは、自分には無理だと知っていた。
「所詮害虫か」
「そうさ、貴様は害虫だ。私と、長次の」
しかし、と彼はそこでいったん息を吐く。
「そのおかげで桜（私）は美しく狂い咲ける」
立ち止まって、彼の視線が文次郎を捕らえる。
絡みつくような視線に、文次郎も彼を見つめ返した。
花見をしながらゆっくりと歩いていく人影が、二人をすり抜けてゆく。
果敢ない幻想と知りながら、つかの間の沈黙の後文次郎は彼に手を伸ばした。
「それに、お前には伊作がいるだろう？」
伸ばした手を握り返しながら
「大切にしなかったら地獄の果てまでも追いかけてぶち殺してやる」
ふんと鼻で笑った彼は、先ほどの果敢なさもどこか飛んでいってしまった。
「お前……しゃべらなきゃほんっと綺麗なのにもったいねぇ」
ぼそりといった害虫の一言に桜は思わず目を丸くした。
言外に、彼の本音を聞いてしまった気がした。
自分がずっと押し殺してきた感情が、表れそうになる。
しかしそれは、親友に対する裏切りになることで、自分には今一番愛している男がいて。それは目の前の男ではなくて。
「バカを言うんじゃない。さぁ帰るぞ、毛虫が落ちてこない間に」
色気のない言葉にふっと噴出しながら、文次郎は握られたままの手を引いた。
「そうだな。さっさとあいつらに土産買って帰るか」
人ごみにはぐれないようにと繋いだ手がどちらからともなく離れたのは、学園の門をくぐるときだった。