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今でも記憶に残る、あの夏の日。
それはまだ幼かった一年生のころの出来事。
ちょうどこの木陰の辺りで休み時間に文次郎は箒を振り回して遊んでいた。
その箒が、僕の頭に当たり痛みと驚きで泣き出してしまう。
『おいっ!泣くなっ!先生がきちまうだろうがっ!!』
大声で叫んでしまったせいか、ビクつき泣き止んだのがまた泣き出す。
今から考えてみれば泣き出した僕を泣き止ませるのは焼け石に水だった。
おろおろしつつも必死で泣き止ませようとしているところへ、教師が飛んで来て頭をぽかりとやられた。
『周りを見ていないからそういうことになるんだ。注意力が散漫だといい忍者にはなれないぞ』
結局お小言をもらい、文次郎は不貞腐れていた。
「おい、何ニヤニヤしてんだよ」
通りがかりに声をかけられる。
「ちょうどこの木陰の辺りだったから思い出しちゃったんだ。君が僕を初めて泣かせたときのこと」
ふふっと笑うと目の前に現れた文次郎は変な顔をした。
「お前そりゃあ、一年の時のことだろうが。……すっかり忘れたぜ」
ならどうして一年の時だって覚えてるのさ、なんてそんな意地悪なことは言わない。
それは君の照れ隠しだって知っているから。
「夜に初めてお前を啼かせたときのことは覚えてるがな」
「もう、文次郎ってば」
したり顔で笑う文次郎に、多分頬は赤くなってる。
僕は木陰にもたれて、日向と日陰で二人で話す。空気がひやりと涼しくなった気がした。
「ところで、何か用事だった?」
にっこりと笑顔を向けると
「おう、図書室に本を返却しに」
長次がうるせーからなと書物の束を見せてくれる。本当は長次ではなく、同室の仙蔵がうるさいのだろうけれど。
「急がないと図書室しまっちゃうね」
「あぁ……じゃあ行くわ」
「うん」
それだけ言って別れようとすると、文次郎が思い出したように呼び止めた。
「伊作、ちょっと目ぇ閉じろ」
「へ?」
唐突のことに、反応しきれない。
「良いから早く」
そっぽを向いたまませかす文次郎に、僕はしぶしぶ目を閉じる。
一瞬だけ、唇にカサついた感覚があって、人の気配が消えた。
「もう……ほんっと……バカ……」
再び赤くなってしまっただろう頬を両手で挟んでくつくつと笑う。
瞳を閉じて。
それは、恥ずかしがり屋な君の、口付けの合図。
こっちが恥ずかしい!!!←
懐を探る。
冷や汗が背中を伝う。
「げっ……」
サイフガナイ。(タイトル)
何処で落としたんだろう?
それとも掏られたのだろうか。
もし後者だとしたら、
『隙を見せるからだ。バカタレ』
と、お叱りが飛んでくるだろう。
もう学園の正門が見えているあたりまで帰ってきていたが、踵を返しひた走る。
「文次郎に馬鹿にされるくらいなら、門限破って先生にしかられるほうがマシだよ……」
軽くため息を漏らしながら、何処で落としたのかを思い出す。
行きがけに入った土産物屋、つまみ食いをさせてくれた漬物屋。
お昼に入ったうどん屋に、扇子屋。
「あっれぇ……他にどこに寄ったっけ……?」
自問自答してみる。
もしかしたら道端に落とし、誰かが拾った後なのかもしれない。
主要の道だというのに人通りも少なくなり、空を見上げると落ちかけた太陽が黒雲に隠れていくところだった。
「暗くなっちゃったらわからなくなっちゃう……」
往路も復路も同じ道を通ったはずだ。
道に落ちてなかっただろうか。
目を皿のようにして地面とにらめっこを繰り返す。
降り始めた雨には、少しも気づかなかった。
「あーあ、びちょびちょだぁ……」
無人のお堂を借りて雨宿りをさせてもらう。
「もう……最悪……」
財布はなくすし、雨には打たれるし。
学園に帰ったら門限を過ぎていることを先生から注意される。
縁側に腰を下ろし、ぼやきながら着物の裾を絞った。ぽたぽたと雫がたれる。
「今が夏でよかったな」
ため息を吐いたところへ突然声がして手ぬぐいが降ってきた。
ビックリした表情のまま振り返るとそこには
「文次郎……?」
「おぅ」
したり顔で笑う文次郎がたっていた。
「なっ……どっ……」
なんで どうして と聴きたかった。
「たまたま俺もここで雨宿りしてたんだよ。そしたらお前がのこのこやってきたってわけだ」
隣にしゃがみこんでしたり顔で笑う。
「まぁ通り雨だからすぐにやむだろ」
「いつから居たの」
借りた手ぬぐいで髪を拭う。雨宿りと言う割には、彼の着物や手ぬぐいはぬれていない。
「降り始めてすぐだ。出かけた帰りに打たれた」
「じゃあ僕と一緒だ」
少し違うけれど、と心の中では呟く。
「しかし背後に人の気配があるのに気づけないなんて、鍛錬が足らんぞ」
こつんと小突かれ、むぅと膨れてみせるが、雨の中、一人で待つことに比べたら、小突かれるくらいなんてことはない。
「で、お前はなんでこんなところウロウロしてるんだ?サイフがなんとかと聞こえたが」
しまったと思った。
呟いた言葉はしっかり聴かれていたらしい。ここは正直に告白しておくしかないだろう。
「サイフをね…落としちゃって」
あははと笑うと、また小突かれた。
「お前なぁ……」
隣で胡坐を掻いて雨の先を見つめる。
「ほんっと、お前ってやつは……不運で、ヘタレで」
「どうせ不運でヘタレで保険委員長ですよーだ」
いーっと歯を見せると、ふっと笑われ、見つめられた。
「なんだよ、笑うなっ」
「目が離せないやつだよ、お前は」
ぽんと何かをひざの上に置かれる。
「あ!僕の財布……?」
「帰りに寄った茶屋の傍に落ちてたぜ」
渡された財布は確かに自分のもので、復路で峠の茶屋によったわけで。
「え?え?」
頭の中がぐるぐるする。
「尾行けられてることも気づけないようじゃ、お前忍者失格だな」
立ち上がりざまに頭をくしゃくしゃっと撫でられ、未だに整理のつかない頭が余計にふわふわとする。
「いっいつから!!?」
「お、もうすぐあかるぜ、雨」
答えをはぐらかされて、力が抜けて笑えた。
「さぁ、帰るぞ伊作。目が離せねぇんだから俺から離れんな」
縁側から庭に飛び降り、手を差し伸べる。
その手をとりながら、伊作は顔をくしゃりとゆがめた。
翌朝
「伊沙子…起きろ」
「あぁ…おはよう…」
欠伸混じりに返事をする彼女は
「ごめん…昨日はなんか…眠れなかったんだ…チョウズの意味が分かるかと思うと緊張して…」
目をこすりながら笑った。
「しかし何だろうなぁ…チョウズ…」
「女中さん呼んでみたら?立花様が呼ばれたのもこれくらいの時間だったし…」
おまえが言えよと言う文次郎に伊沙子は穏やかに渇を入れる。
「だってこういうものは主人が言うんじゃなあかなぁ。君は僕の主人でしょ?」
照れくさくなって、なんだかなぁと思いつつも言われるがまま、結局文次郎が女中を呼ぶことになった。
「なんかドキドキするなぁ…」
咳払いを何度もして、文次郎は手をたたいた。
「おぅい!誰かいるか!」
まもなくして女中がやってきた。名を半子と言った。
「おはようございます。夕べはよくお休みになられましたか?」
にこにこと笑う半子に文次郎は鷹揚にうなずく。そして
「すまないが、こちらへチョウズを廻してもらえないか?」
と頼んだ。
半子はかしこまりましたと、部屋から出ていった。
それまで悠長にしていた二人だったが、襖が閉められたとたん、狼狽する。
「どうしよう!あんなにあっさり引っ込んじゃったよ!」
「あれだな!旦那様に相談してきますとか言わなかったな!」
二人の中でますますチョウズの謎は深まっていく。
そしてしばらくして
「お待たせいたしました」
半子が盆を運んできた。
盆の上には二人の考えるチョウズらしきものはなかったが、湯を張った器と白い粉の山と短い棒が乗っていた。
半子がでていった後、二人はうーんとうなりだす。
そしてひらめいたのは伊沙子だった。
「あ!これは料理だよ!」
山と盛られた白い粉をなめて
「うん、塩だ。塩は料理で味付けに使うものだろ」
にこにこと伊沙子は塩を湯の中に入れた。
「で、たぶんこの棒でかき混ぜるんだよ」
「それじゃあお前、廻すのは何を廻すんだ?」
棒でかき混ぜることだとか回りながら飲むとか廻し飲みをするとか、いろいろ案はでたものの、結局は椀を廻すのだろうと言う結論に達した。
「茶の作法でそういうのがあると聞いたことがある」
器を廻しながら文次郎はつぶやいた。
「そろそろいいんじゃないかな?」
頷いた彼は廻し続けていた器にそろりと口を付けた。
「味がしねぇ」
チョウズを口に含んだ第一感想だった。「もしかしたら薄口なのかもしれないよ?ほら、上方の料理は味付けが薄いっていうじゃない」
伊沙子は隣でうきうきする。
「まぁそう急くな。ちゃんとお前の分も半分残してやるから」
そういって文次郎は器を伊沙子によこした。
「うーん…確かに薄口かも…」
彼女も文次郎と同じ感想を漏らし、だろ?と問いかけてくる瞳に瞳で頷いた。
「でもこれくらいの料理なら僕でも作れそうな気がするけどなぁ…ってか文次郎、これ…半分より多くない?」
「そんなことねぇよ。まぁとりあえずこれで浪速から客が来てチョウズって言われても狼狽しなくてすむな」
「そうだね…あぁ…やっぱり半分より多いよ…もうお腹いっぱい…一滴も飲めない…」
思わずごろりと横になる伊作に行儀が悪いぞと渇をとばしていると
「失礼いたします」
再び半子がふすまを開けた。
「遅くなりましたがお連れ様の分、こちらに置かせていただきます」
その科白を聞いて文次郎は狼狽し、伊作は寝た振りを決めた。
「おい、伊沙子…さっきのは俺の分でこれがお前のだとよ…」
「もう無理…」
唸るような返事に文次郎は
「悪いが…これは昼にいただくよ」
この科白が笑顔で対応していた半子の爆笑を誘ったことは言うまでもなかった。
「和尚!ってか小平太!」
境内の中、袈裟を着た坊主に伊沙子は駆け寄った。
「あれ、どうしたん?いさっくん」
身分の高い和尚と気軽に話せるのは、お互いが寺の生まれであり、幼なじみであるからである。
「あのね小平太。チョウズを廻すって何か知ってる?」
「えーっと、次の法事はいつだったかなぁ…」
まじめな顔をしてお堂の中に戻ろうとする小平太に
「もしかして知らないの?」
と問いかけると。
「何言ってんの。ちびしー修行を受けた私に知らない事なんてないよ!」
「それじゃあ教えてよ」
にこにこと訊ねると小平太は神妙な面持ちで実はねと切り出す。
「実はねチョウズって言うのは…」
「うん…」
聞く方も緊張するのか神妙になる。
「隣村の長次のことなんだ…。ほら、ずーずー弁で言うと<ちょうず>だろ。浪速ですごく有名になってるらしいよ」
伊沙子はその答えをそのまま文次郎に伝え、そして隣村から長次をつれてきた。
一方長い間待たされている仙蔵はいい加減にしびれを切らしていた。
「遅いなぁ…まったく…何をしているんだろう…」
そこへ長次がやってきた。
「立花様…ですね…。お呼びだと聞きましたが…本当に私でいいのでしょうか…」
ぼそぼそと聞き取りにくく話す長次に仙蔵は
「…さっきの女中さんはどうしたんだ…?」
とつぶやき、まぁいいかと思い直す。
「あなたでかまいません。申し訳ないですが、チョウズを廻してくださいませんか」
「はい…どこで廻しましょう?」
返答に仙蔵は渋い表情を見せる。
「どこもなにも。ここですが」
「ここ…ですか」
長次が少し照れたように頭を掻く。
「何分私は初心者なもので…浪速でそんなに有名になっているとはつゆ知らず…では…すこし失礼をばして…」
そういって長次は立ち上がると舞をまうようにくるくる回りだした。
呆気にとられる仙蔵は一瞬目をしばたたかせ
「何してらっしゃるをんですか?早くチョウズを廻してください」
「はぁ…もっと早くですか…?」
先ほどより少し早く回り始めた長次の表情に疲労が伺える。
「何をしてるんですか?ちゃっちゃと廻してください」
仙蔵の言葉の意味が分からず、長次は回りながらうなった。
「ん~~~…チャッ!ん~~~…チャッ!」
「お客様は怒って帰られました…」
対応に疲れたのか力の抜けた様子で秀が文次郎のところへ報告にくる。
「ということは長次のことではなかったという事か…」
筆をくわえて文次郎はうなった。
「で、当の長次はどうしてるわけ?」
文次郎の湯呑みでお茶を啜るのは伊沙子である。他人はそんなことをすればもちろん怒られる。
「部屋で目を回して倒れてます…」
秀の答えに思わず二人は視線を合わせた。
「やっぱりあの和尚の話はでたらめだったか。なぁ、あの和尚がこの村に初めて来たときのこと覚えてるか?」
「いや…僕はまだいなかったから…」
笑う伊沙子にああそうかと相槌を打つ。
「あいつがきたのはなんかでっかい法事があったときなんだ。あの和尚、経典読みながらお経を上げてたんだが、難しい漢字のところへくると、う~~~~~ん…う~~~~~ん…と唸りはじめたんだ。で、そばにいた古株の和尚が見るに見かねて<もういいからそれとばせ>って言ったらそいつ、経典をばーんて前に…突き飛ばしやがったんだ」
伊沙子と秀は目をまん丸にした。
「でもほかの奴らはそんなことしらねぇからな。<ここの宗派はここまで教が来たら経典を前にとばす宗派なんだぁ>って妙に納得してやがった」
ひとしきり笑った後、伊沙子は切り出した。
「で…どうしよう…また浪速からお客が来てチョウズ廻せって言われたら困るよ?」
「そうだな…また長次を呼んで目を回させるわけにもいかねぇし…」
少し悩んでそうだと叫んだのは文次郎。
「今から浪速の旅籠にいって明日の朝<チョウズを廻してくれ>と言えばその意味が分かるかもしれんぞ」
早速その夜、伊沙子と文次郎は浪速へと足を運び、手近な旅籠へ泊まった。