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Saika
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懐を探る。
冷や汗が背中を伝う。
「げっ……」


サイフガナイ。(タイトル)


何処で落としたんだろう?
それとも掏られたのだろうか。
もし後者だとしたら、
『隙を見せるからだ。バカタレ』
と、お叱りが飛んでくるだろう。
もう学園の正門が見えているあたりまで帰ってきていたが、踵を返しひた走る。
「文次郎に馬鹿にされるくらいなら、門限破って先生にしかられるほうがマシだよ……」
軽くため息を漏らしながら、何処で落としたのかを思い出す。
行きがけに入った土産物屋、つまみ食いをさせてくれた漬物屋。
お昼に入ったうどん屋に、扇子屋。
「あっれぇ……他にどこに寄ったっけ……?」
自問自答してみる。
もしかしたら道端に落とし、誰かが拾った後なのかもしれない。
主要の道だというのに人通りも少なくなり、空を見上げると落ちかけた太陽が黒雲に隠れていくところだった。
「暗くなっちゃったらわからなくなっちゃう……」
往路も復路も同じ道を通ったはずだ。
道に落ちてなかっただろうか。
目を皿のようにして地面とにらめっこを繰り返す。
降り始めた雨には、少しも気づかなかった。

 


「あーあ、びちょびちょだぁ……」
無人のお堂を借りて雨宿りをさせてもらう。
「もう……最悪……」
財布はなくすし、雨には打たれるし。
学園に帰ったら門限を過ぎていることを先生から注意される。
縁側に腰を下ろし、ぼやきながら着物の裾を絞った。ぽたぽたと雫がたれる。
「今が夏でよかったな」
ため息を吐いたところへ突然声がして手ぬぐいが降ってきた。
ビックリした表情のまま振り返るとそこには
「文次郎……?」
「おぅ」
したり顔で笑う文次郎がたっていた。
「なっ……どっ……」
なんで どうして と聴きたかった。
「たまたま俺もここで雨宿りしてたんだよ。そしたらお前がのこのこやってきたってわけだ」
隣にしゃがみこんでしたり顔で笑う。
「まぁ通り雨だからすぐにやむだろ」
「いつから居たの」
借りた手ぬぐいで髪を拭う。雨宿りと言う割には、彼の着物や手ぬぐいはぬれていない。
「降り始めてすぐだ。出かけた帰りに打たれた」
「じゃあ僕と一緒だ」
少し違うけれど、と心の中では呟く。
「しかし背後に人の気配があるのに気づけないなんて、鍛錬が足らんぞ」
こつんと小突かれ、むぅと膨れてみせるが、雨の中、一人で待つことに比べたら、小突かれるくらいなんてことはない。
「で、お前はなんでこんなところウロウロしてるんだ?サイフがなんとかと聞こえたが」
しまったと思った。
呟いた言葉はしっかり聴かれていたらしい。ここは正直に告白しておくしかないだろう。
「サイフをね…落としちゃって」
あははと笑うと、また小突かれた。
「お前なぁ……」
隣で胡坐を掻いて雨の先を見つめる。
「ほんっと、お前ってやつは……不運で、ヘタレで」
「どうせ不運でヘタレで保険委員長ですよーだ」
いーっと歯を見せると、ふっと笑われ、見つめられた。
「なんだよ、笑うなっ」
「目が離せないやつだよ、お前は」
ぽんと何かをひざの上に置かれる。
「あ!僕の財布……?」
「帰りに寄った茶屋の傍に落ちてたぜ」
渡された財布は確かに自分のもので、復路で峠の茶屋によったわけで。
「え?え?」
頭の中がぐるぐるする。
「尾行けられてることも気づけないようじゃ、お前忍者失格だな」
立ち上がりざまに頭をくしゃくしゃっと撫でられ、未だに整理のつかない頭が余計にふわふわとする。
「いっいつから!!?」
「お、もうすぐあかるぜ、雨」
答えをはぐらかされて、力が抜けて笑えた。
「さぁ、帰るぞ伊作。目が離せねぇんだから俺から離れんな」
縁側から庭に飛び降り、手を差し伸べる。
その手をとりながら、伊作は顔をくしゃりとゆがめた。

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嗚咽を漏らすような声が聞こえて、伊作は部屋の前で立ち止まった。
入るべきか入らざるべきか少し迷った。
親友である仙蔵なら慰めてやりたい。
だが、もしも文次郎だったら。
そう考えて障子の手前で手が止まる。
恋人である文次郎が泣いていたなら、自分はどうするべきなんだろう。
それでも意を決して少しだけ障子を引いた。その隙間からするりと入り込む。
夏の暑い時期に締め切った部屋はやはり蒸し暑かった。
がらんとした部屋の片隅で、彼はうずくまっていた。
目を右手で覆い、ひざを抱えて壁にもたれている。
伊作はゆっくりと近づいて手を伸ばした。
その指が触れる前に体はびくりと震えたが、おそらく伊作が部屋の前で迷っているときから気づいていただろう。
柳眉を寄せたまま口元を緩めると、横に座って優しく彼の頭を撫でた。
いつも被っている頭巾は左手にクシャクシャなって握られている。
あまり手入れされていない髪がちくちくと刺さって少しくすぐったかった。
二人でしばらくそうしていた。
文次郎は膝を抱えたまま、伊作は彼の頭を撫でたまま。
ここに来たころには南に上がっていた太陽も、今では西に傾いていた。
彼は泣いている理由を一切語らなかった。
涙を流してもいなかった。
ただ、泣き終わったあとに一言

「ありがとう」

とだけ言った。
普段が普段だけに、伊作はなんだか変な気分に襲われた。

髪にそっと口付ける。
夜風がふわりと縁側の風鈴を揺らした。

月の出ない朔の日は忍者にとって黄金時間である。
それはある男にとって、とても重要なものであった。

走り出す。
軽く息を弾ませる。
クナイを投げる。
的に当たる。
静かにすべてを遂行する。
すべては強くなるために。


「夜中にたずねてきたかと思えば、無茶をする」
呆れのため息を漏らした。
綺麗な包帯を巻かれていく手は小さな行灯に照らされて橙に光る。
「服は土ぼこりにまみれてるし。はい、できた」
無理しちゃダメだよ、と包帯を巻き終わった手をきゅっと握ってぽんぽんと軽く叩く。
「夜中のトレーニングもいいけど、あんまり無理はしないで」
「おい」
そそくさと立ち上がり救急箱を片付けに部屋へと戻ろうとする伊作の腕を掴み、包帯を巻かれた手が引き止める。
「なんで泣いてるんだ」
月光に照らされて、こぼれた雫がきらりと光った。
「兎に角落ち着け」
何処となく焦ったような声色に、伊作はうんと頷くが込み上げる熱いものはなかなか止まらない。
参ったなぁと言う風にガシガシと頭を掻くと、しゃがみ込んでしまった頭を抱き寄せ軽く撫ぜた。
「どうしたんだ、急に」
「……文次郎が……死んじゃった……」
飛び出した言葉に思わず目を見開く。
「じゃあ今ここにいる俺は何だよ」
できるだけ優しい声色で言い聞かせるように囁く。
「腕に怪我したくらいで死んだりしねぇよ。お前が一番わかってるだろう?」
夢でよかった……と枯れた声が呟く。
「夢でも……庭から誰かが……やってきて……文次郎が……息も絶え絶えで……僕はどうにもできなくて……それで、文次郎は……息を……っ」
泣き止みかけたところで、また泣き出した伊作を、文次郎は強く抱きしめた。
「あー、わかったから。泣くな。な?」
どれだけの時間そうしていたのか。
行灯も風で消え、月明かりだけが青白く二人を照らし出す。
「俺は簡単に死んだりしねえよ、そのために強くなるんだからな」
額と額をくっつけ、ようやく泣き止んだ伊作の頬を転がる涙を指で拭った。
「でも嬉しかったぜ」
「……え?」
「夢であろうが、俺の最後を看取ってくれたのがお前だったなら、俺は本望だからな」
頬に紅葉を散らした伊作の髪をゆっくりと撫ぜる。下ろされた洗い髪はさわり心地が良かった。
その髪にそっと口付ける。
夜風がふわりと縁側の風鈴を揺らした。

踏まれた。
遠くで雷の音が聞こえる。
まだ雨の落ちてこない空を見上げながら、長屋の縁側でごろごろうとうとしていた。
「こぉら、文次郎」
「あんだよ」
見下ろす相手にそっけなく返事をする。
「邪魔なんだけど」
少し頬を膨らませて、顔を覗き込んでくる伊作は両手いっぱいに洗濯物を抱えていた。
「洗濯したんか。雨降るぞ」
「だからあわてて取り込んだんじゃないか」
ひじで頭を支えた状態で縁側を向いた文次郎から足を退けると、しれっとした様子で彼は自室に入っていく。
「君こそ、こんなところで何やってるのさ」
「うるせぇなぁ……昼寝だよ、昼寝」
開け放したままの障子をはさんで話す。
「ここが一番風通しがよくて涼しいからな」
「い組の縁側だって変わりはしないだろう?」
大きくため息を吐くと、乾いた洗濯物をたたみ始めた。
「ここは静かだからな」
い組の縁側、すなわち文次郎の部屋の縁側は、渡り廊下のそばにあるため人通りが多い。
比べて伊作の部屋は端っこにあるため、人はとおらず静かなのである。
「そう」
伊作はため息を吐くかのように返事をするが、その表情は柔らかい。
文次郎は目を瞑り、背後に聞こえる洗濯物をたたむ音を聞く。
その中に雨の音が混じりだした。
「降ってきたね……」
「あぁ……梅雨だからな……」
片目を開けて庭を眺める。地面と紫陽花の葉が雨に打たれてバチバチと音を奏でていた。
「雨は嫌いだけど、雨の音は好きだな」
「矛盾してないか?」
思わず聞き返す。
「そうかな……?」
首をかしげる気配がわかり、文次郎の口元は自然と緩んだ。
「はい、文次郎。君の分もついでに洗濯しておいたからここにおいておくよ」
「悪いな、いつも」
体を起こし、振り返る。礼を言うときは相手の方向を見るのが礼儀である。伊作はさっさと自分の分を箪笥に片付けていた。
「悪いと思うなら溜め込む前に自分でやってほしいんだけどね」
「色々都合があるんだよ」
肩を上げる伊作に、文次郎は立ち上がって照れくさそうに頭を掻く。
「なんだよそれ」
むぅと膨れてみせる伊作に、文次郎は別に、と視線を逸らした。
「雨……か……」
伊作は文次郎の傍にひざを抱えて外を見る。
「雨だな……俺は嫌いじゃないがな」
そんな彼に習い、文次郎も胡坐を掻く。
「そうなんだ」
「雨が降らなきゃ米も野菜もできないからな」
現実的でもっともな答えを聞き、伊作は笑いを漏らした。
「確かにそうだね……でも、僕はやっぱり音が好きかな」
優しい目で外を見つめる彼に、文次郎は相手を見て、何故、と問うた。
「だって、沢山の人に拍手されてるみたいで嬉しいじゃないか」
「俺がいるだけじゃ嬉しくないか?」
きょとんとした表情で相手を見つめ返し微笑むと、返事の代わりにそっと口付けを交わした。
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